はやくおとなになりたい

短歌とぶんがくと漫画を愛する道券はなが超火力こじつけ感想文を書きます。

ラ・ラ・ランドよかった。

ラ・ラ・ランドのラスト「あり」派と「なし」派】

 私のラ・ラ・ランドの初見の感想は、「よかった。2人の夢も叶ってハッピーエンドだった。あったかもしれない輝かしい恋の様子も美しくて最高だった」だった。

 しかし、ラ・ラ・ランドのラストについて、私の周囲では「あれはない。つらすぎる」という声が上がった。「なし」派の人の言い分としては、「2人が結ばれてハッピーエンドでいいじゃないか、なぜわざわざ引き裂くんだ」、「ミアはなぜセブ以外の男と結婚したのか」、「セブくん可哀想」といったものだった。

 この違いはどこからくるのか。

 

【「青春」とその終わりを描いたラ・ラ・ランド

 ラ・ラ・ランドでは、叶う可能性の少ない夢を追い、人々は「スターの街」に集まる。「勇気か狂気か、これからわかる」、「夢見る愚か者に祝福を」、「群衆の中のだれかが私を見つけてくれる」、歌として語られるこれらの言葉がそれを物語る。

 ここでは、「夢見る愚か者」として目標に向かって打ち込む期間を「青春」と呼びたい。夢を追うことを諦め、あるいは夢を達成することで夢を「追う」必要のなくなった時、「青春」は終わる。

 セブはミアより先に自分の夢(伝統的なジャズを再び盛り上げ、自分好みの曲が演奏される店を開く)をあきらめ、ロックバンドのピアニストとしての道を歩み始める。セブの「青春」は、実質ここで終わっている。一方、自分の夢を諦めきれないミアは、そんなセブを受け入れられない。これは「青春」から抜け出た者と、まだ渦中にある者の感覚の相違があらわになるシーンと言える。

 結局、ミアは自分も俳優としての仕事を得る。彼女の「青春」はここで終わりだ。しかし、彼女はこの時点ではまだそれに気付いておらず、セブにまつわる日々に、すなわち「青春」に留まろうとする。一方セブは、セブとよりを戻して元の生活に戻りたいミアに対し、仕事に集中するように告げる。まだ「青春」の中にいるつもりのミアを、セブはやんわりと否定し、ミアの「青春」を終わらせたのだ。

2人にとって、2人で暮らした日々は輝かしい「青春」そのもので、互いが互いの「青春」の象徴だった。つまり、2人が愛したのは相手というより、ともに過ごした「青春」の日々だったのではないか。

 そう考えると、最後のシーンはうつくしい「青春」への懐古以外の何物でもない。大成功をおさめ、他の人と結ばれたミアは、偶然セブの店に立ち寄り、2人は5年ぶりに再会する。その時に流れる回想のような映像は、2人の恋人時代を振り返ったもののようだが、細かいところがよりロマンチックに改変されている。これは、一般的に後から振り返った若い頃の思い出が、より美しいもののように脚色されることと無関係ではないだろう。

 

角田光代が描く「青春」を断ち切ったときにあらわれる希望】

 私がラ・ラ・ランドを観ているあいだ、2人の夢は叶わないだろうと心の準備をしていた。夢を諦め、すべてを失った2人が、ラストではそれでも生きていくしかないと決意を新たにするのだろう…そう思ってなりゆきを見守っていたため、ミアが俳優として成功をしたのも、セブが店を開いていたのも拍子抜けだった。

 私がそのような鑑賞をしたのは、「薄闇シルエット(角田光代)」が念頭にあったからかもしれない。

 

私はそういった地点から点ではなく線を引っ張ってきていて、それをたどればいつでもそこに戻れると思っている。もう誰も、そんなところにはいないのに。(角田光代「薄闇シルエット」)

 

 この作品では、過去への未練が印象的に描かれる。「薄闇シルエット」の主人公のハナは、周囲に比べて自分だけが取り残されていくように感じている。自分が気に入らないと言って別れた元恋人は、ダサくなりながらも幸せな結婚をする。袂を分かった共同経営者は、ハナがダサいといって嫌った事業に手を出して成功をおさめ、結婚相手も見つける。一方ハナは、嫌なことをやらないための努力だけで年齢を重ねる。ここでは、ハナだけがダサくない自分でいたいという夢を追う「青春」のただ中にいるのだ。彼らは、いつまでもハナの思い出の中の彼らでいてはくれず、彼女を置いて前へと進んでいく。ハナはなんとか自分も前に進もうとするが、何度か手痛い失敗をし、それでも前に進むしかないと決意するところで物語は終わる。ここで初めて、ハナもようやく「青春」の終わりを迎えるのだ。

 「青春」を引きずる者に希望はない。輝かしい過去に戻りたいと後ろ髪を引かれながらも、断ち切って厳しい現実を受け入れ、そこで生きようと決意するとき、はじめて未来は立ちあらわれる。戻れないことは悲しいことではないのだ。戻れないことを受け入れ、前に進むことを決めた時、そこから見える景色はいつも薄闇に包まれている。闇が薄いのは、希望の光が差しているからだ。

 

ラ・ラ・ランドのラストが描いた夢の続き

 ラ・ラ・ランドのラストを見てつらさを感じるのは、セブとミアの過ごした「青春」があまりに輝かしく、そこに戻れないのが悲しいからだろう。ただ、その輝かしさだけに着目して、つらいラストだと断じてしまうのはもったいない。あれでよかったのだ。美しい過去を、「青春」を、かなぐり捨てて進まなければ、2人は夢を掴めなかった。美しく脚色した過去をゆっくり思い出す余裕があるのがその証拠だ。彼らはいま、夢の続きを生きていて、戻れない過去をほろ苦く思いだせるほど幸せなのだ。