はやくおとなになりたい

短歌とぶんがくと漫画を愛する道券はなが超火力こじつけ感想文を書きます。

エア読書会・岩尾淳子さん『岸』

前エントリに続いて、先日行われた「未來短歌会彗星集神戸歌会・田丸まひる『ピース降る』・岩尾淳子『岸』合同読書会」に参加できなかった悲しみをばねに、ここでエア読書会を開催しています。

 

岩尾淳子さん『岸』について 

1、ひそやかさ、やわらかさ

 校舎から小さく見える朝の海からっぽの男の子たち、おはよう

 起立! という少女の声に研がれたる君たちそしてふたひらの耳

 水面に舌入れてのむ首筋のやさしいかたちを獸は知らず

 

一首目、朝、登校したてでまだ眠たく、エンジンのかかっていない「からっぽ」の状態の男の子たち。作者は彼らにしゃきっとしなさいと叱咤するのでなく、おはようと優しい声掛けをする。二首目、そんな「からっぽ」の生徒らにエンジンがかかりはじめる様子を、「少女の声に研がれたる」と表している。やわらかく角を失っていた生徒らが鋭さを帯び始める前、「君たち」自身よりも先に、「ふたひらの耳」が覚醒しはじめる。三首目、一心に水を呑む獸の首筋がやさしいかたちをしているのに気づき、しかしそれに対して何か働きかけるわけでもなく、ひそやかにそれを見守るやさしい視線。

この歌集を通して、岩尾さんのお歌は、観察の緻密さと、やわらかい言葉選びが魅力的だな~と思いました。「からっぽ」の様子、「ふたひらの耳」、「首筋のやさしいかたち」など、何気ない日常の風景のなかから「詩」を見つけ、簡明でやわらかい言葉にされるところが印象的でした。

  「歌以前の作者像をかわいがられすぎると危ない」、「作者像に寄った作品作りはよくない」という話を、虫武一俊さんの歌集「羽虫群」の批評会で聞いたのですが、岩尾さんの歌集全体に通底するやわらかでおちついた作者像は、むしろ歌全体にしなやかに力を与えているように思います。掲載された歌は皆、一貫して柔らかく澄んでおり、嘘やごまかしの匂いが全くしなくて、ずっと安心して読んでいられました。

 

2、からだにひびく

 眠れない耳はさみしく牛乳の壜はひびけり火花のごとく

 目覚めれば初めて出会うあけがたの冷たい床に素足をおろす

 

  一首目、皆が寝静まった時間帯に一人起きていて感覚が鋭敏になっている。牛乳の壜が立てる音が、静寂のなかで火花のように、耳に響くように感じられる。二首目、大切な人を失った悲しみで眠り、目覚めた朝、「あけがたの冷たい床」に初めて出会ったような気がする。冷たい床に素足をおろす心許なさとおののき。

  自分の身体のなかで呼び起こされる感覚も、丁寧に見つめて歌にされます。そのため、鋭敏になって牛乳瓶の音が強烈に感じられているのが、まるで自分の耳であるかのように読者に錯覚させると思いました。この読者の「からだにひびく」感じが、私はとても印象的でした。

  

  それぞれの暮れゆく海に触れぬよう離れぬようにあなたと歩く

 

  この歌もそうで、触れぬよう離れぬようにあなたと歩く距離感のぎこちなさが捉えられていて、「それぞれの暮れゆく海」という比喩に深い実感がこもって伝わるような感じがします。

 

3、まとめ 

  全然うまく言えないのですが、私はこの歌集がとても好きです。

  どうやったらこんなに実感のこもった、読者の五感まで掘り起こすような言葉選び、題材選びができるのだろうと、読んでいる間ずっと羨ましく思っていました。こんな歌が詠めたらどんなにいいだろうと思います。ご家族の歌、ご自身の暮らしの歌にもその傾向は顕著で、透明であたたかい世界が広がり、居心地のいい場所のように感じました。私の歌はまだまだですが、岩尾さんの歌みたいに「届く」歌が詠めるようになりたいです。がんばります。