はやくおとなになりたい

短歌とぶんがくと漫画を愛する道券はなが超火力こじつけ感想文を書きます。

「クローゼットに鮭」よかった。

 龍翔さんの「クローゼットに鮭」、放流いただきました。

 毎晩何度も読み返させてもらった、好きな連作でした。

 

 男性ふたりで引っ越しをして同じ部屋で住むようになるという内容の連作で、ミニマムな観察眼がちりばめられているところがとても好きでした。短歌研究新人賞の小佐野さんの作品も男性ふたりを題材にしていたけれど、小佐野さんは、世の中や、それに対しての感じ方、どう立ち向かっていくかといったところを主眼に置いていたように思います。一方「クローゼットに鮭」はもっとミニマムで、ふたりの生活を丁寧にひとつひとつ拾っていこうとされているように感じました。二人でアロワナみたいに寝転がる嬉しさ、ごめんねとどちらからともなく言って終わる喧嘩、きみのゆふべのからだの重みを思い出す気まずさ気恥ずかしさ、そういった生活そのものが丁寧に描かれることで、ふたりの日々が奥行をもって立ち上がってくるところが大好きでした。

 

真つ白なフローリングに寝転びてふたり二匹のアロワナになる

とりどりのネクタイ締めた男たちみなゆるやかに縊死してゆけり

まず種を蒔きたがるきみ 指先を生温かき土に埋めをり

ムニエルをナイフで雑に切り分けたきみのゆふべのからだの重み

始まればいつかは終はるものとしてクローゼットに孤独をしまふ

 

 一首目、眩しい真つ白なフローリングに二人で寝転がる様子を、アロワナにたとえる。大きくてどっしりとした魚がぬめっている様子は、同じ泥のなかで眠る幸福感のようなものも感じさせて、新鮮だった。フローリングが白いから暗くなりすぎなくて幸せ感が増しているのかもしれない。光景大切

 二首目、ネクタイに男たちが殺されていく。ストレス社会を暗示した空想の世界のようだが、社会の上で男性として生きる息苦しさのようなものも連想させられ、どきっとする。空想はそもそも比喩なので、空想に比喩的な連想を掻き立てられることを私は勝手に「もらい比喩」って呼んでいますが、もらい比喩と本筋の空想の距離が近すぎず飛びすぎず絶妙……最高……

 三首目、「まず種を蒔きたがる」きみの様子が立ち上がってくるんだけれど、きみで切れているので、それを観察する主体の背中も同時に見えてくる。指先を生暖かい土に埋めるのは種を蒔く自然な動作だけれど、土の生暖かさに、ひと同士のかかわりの親密さのようなものや、その動作のやさしさから柔和なきみの人柄も伝わってきて、丁寧な感じがする。

 四首目、今目の前でムニエルを切り分けているきみを見て、きみのゆふべのからだの重みを思い出す。上句、雑に切り分けるという表現からは幼く粗野なきみの姿が立ってくるけれど、下句で肉体的な成熟等感じさせ、ぐっと踏み込んで解像度が上がる感じがする。

 五首目、この連作ではクローゼットは部屋で肩を寄せ合う、被って一日を過ごすなど、二人を投影したもののように描かれる。いつかの別れを予期してそのなかに孤独をしまっておく、親しいひとにも見せない孤独をしまって涼しい顔をしているクローゼット、仲いいだけでも冷淡なだけでもうまく回らない人間関係を暗示しているみたいで、ため息が出ました。

 

 漫画家ヤマシタトモコ先生の作品に「スニップ、スネイル、ドッグテイル」という最高の短編集があります。男性二人がだんだん距離を詰めて仲良くなり、同棲にいたるなかで、ドトールに行ったり、ハーブの水やりを押し付けあったり、風呂の掃除をしたり、そういう日常の些末なことをこれでもかこれでもかと時系列ばらばらで積み重ねて、いつのまにか、最初のシーンで提示された「ふたり肩を寄せ合って暮らす日常」にたどり着くんです。たぶん、日常ってそういう形でしか積みあがらないし、見えてこないと思うんです。大切なことは細部に宿るというか……

 「クローゼットに鮭」はそういう地道な積み重ねに真正面から取り組んだ連作だったので好きだったし、びっくりしました。こういう連作の作り方があるんだって。

 素敵なペーパーを放流いただき、ありがとうございました。