「ぺんぎんぱんつの紙 風雲録」よかった
今年の冬はネプリにまみれていました。
どうしても誰と生きても雪はふる推しにお金を払って帰る
田丸まひる「ねえ見逃してきたんじゃないかな」
私のTL上この冬いちばんの話題歌です。下句の言葉が強烈で、共感を呼んでいますが、上句との対比が好きです。上句までのどこかあきらめの漂う内容を受けながら、それでも「推しにお金を払って帰る」、しぶとく明日を生きるための現金な手段を選びとっているように見えます。寂しくて悲しくてたくましくて最高と思いました。
っこ って何 生きあいっこするわたしたち朝から氷くちうつしてく
上篠かける「アンチヒーロー」
ブランコ押しあいっこする、みたいな、「っこ」への違和感を感じながら、すぐさまその言葉の幼児性短絡性を内面化させて自分たちを「生きあいっこする」と表現する。「(本当は何か生産的活動するべき)朝から氷をくちうつし(あまり生産的でないが二人の関係を確かめるには十分な行為)する」という表現からは、現実から離れて2人の脆弱な世界ができあがっている感じ、それを肯定しようとするもしきれない感じが繊細に感じられて、ひとすじなわではいかないかんじがしました
寒天で野菜寄せたる断面と思うまで窓の外は冴え澄む
加瀬はる「風邪雲録」
上句までで煮凝りの話かと思いきや、下句でやわらかく話題が逸らされている。煮凝りに見えていたのは街の建物で、静かに冴えた街の様子が、寒天のたたずまいと重なる。斬新な比喩でうっとりしました。
イヤフォンに閉ざされているぬばたまの耳の奥までさざめく声は
森本直樹「旅の起点」
耳の奥に枕詞「ぬばたまの」がかかるのが、いいなと思いました。耳の奥は暗くて闇に満ちている、それがまず観察力がとても高いし、その観察結果を「闇」とか「暗い」とか言わずにぬばたま一言で表してしまう感じが底知れないと思いました。
形容ができない雲であるけれど漂う、われの遥か頭上を
廣野翔一「風の日」
「けれど」が好きでした。「形容ができない雲」は漂わないと決めつけてしまっているようにも見えるし、「形容ができない」自分を恥じているようにも見える。「形容ができない」のは、人の手に捉えられないことであり、これは手を伸ばしても届かない「遥か頭上」をただよっていることと直結している。ちょっとした思いつきのようで理路整然と理屈が通っているのがおもしろかったです。
素敵なネプリをありがとうございました。