はやくおとなになりたい

短歌とぶんがくと漫画を愛する道券はなが超火力こじつけ感想文を書きます。

ニューウェーブ30年 うろおぼえレポート

 こんなにたくさんの人が短歌に、ニューウェーブ短歌に関心をお持ちだということに、まずは圧倒されました。なんだかすごい会に参加させていただき、ありがとうございました。また、ニューウェーブ、ライトバース、前衛短歌、という言葉について、予習をしていったつもりだったのですが、不勉強で理解が追い付かないところも多く、とりあえず理解できた気がするところだけ、今回はまとめてあります。嘘をついたらいけないし……と思って自信のないところは切ってありますが、まだ嘘があるかもしれません。誤解があったら大変申し訳ありません。

 もっと精密?なレポートを上げてくださる方がたくさんおられると思うのですが、とりあえず爆速という点で目立ちたいので、公開に踏み切りました。ご笑覧いただけると幸いです。

 

〇この会の成立とニューウェーブ当時のあらまし

加藤治郎さん】

 ・千原こはぎさんの歌集「ちるとしふと」の打ち合わせで、書肆侃侃房の田島さんと京都で会った際、「ニューウェーブが起こって30周年ですね」との話が出る。いつから30年か、恐らく加藤治郎荻原裕幸、西田政史の同人誌「フォルテ」刊行(1988年)から。

 ・三省堂岩波書店から、現代短歌辞典が出ているが、ニューウェーブという言葉があるものとないものがある。今から見れば当時からニューウェーブらしい指標ははっきりとあったが、当時は確執等もあり確たることが言えず、有無も曖昧とされ、掲載が見送られた。

 

ニューウェーブ

穂村弘さん】

 ・ニューウェーブが起こった時代の著名な歌人の多くは、前衛短歌の歌人に師事している。

 ・特に加藤治郎さんの「口語短歌は前衛短歌の最後のプログラム」という言葉は、「口語短歌は前衛短歌のゆきつく先だった」という意味だろうが、前衛短歌では口語がなかった。これはむしろ、前衛短歌への憧れ、もしくはオブセッション(強迫観念)のようなものの表れではないか。これは歌壇全体にあった傾向。

 ・新聞で荻原さんがニューウェーブという言葉を使った時、前衛短歌が立ち上がった時と同じように(二重写しに)捉えられた。しかし、前衛短歌が自称されていたのとは異なり、ニューウェーブと呼ばれる時代当時、ニューウェーブという言葉はなかったように(自分は)記憶している。

 ・前衛短歌への憧れが、ニューウェーブを、前衛短歌と同じく渦中の歌人自ら立ち上げたもののように思いこませてしまったのではないか。

 

加藤治郎さん】

 ・ニューウェーブは、代表歌人4人(多すぎず少なすぎない)、共通の指標、場、が揃っている。これが揃っていないと、名乗れない。若い人には参考にしてほしい。

 ・ニューウェーブは、口語短歌の地平を拓いたライトバースに続き、さらに記号などを用いて新しい表現を目指した。そして、それらを理論化しようとしたところが特徴的である。

 

〇私性について(杉田抱僕さんの指摘を受けて)

穂村弘さん】

 ・私性について、主体と作者の区別は他ジャンルではついている。前衛短歌以降の若者は、前衛短歌を読まなくても主体と作者の区別ができる。テレビとか、そうだから。

 ・短歌が主体と作者の区別をできないのは、そういう文体とともに発展したから。そもそも韻文ではフィクション、ノンフィクションの二分法が適用できない。異化作用があるだけ。でも、短歌をしていない人にその話をしてもわかってもらえない。散文として語らないといけない。

 ・自分が全く思ってもみないことって書ける? 書けることが誇らしかった時期もあったけど、今は無理(主体と作者の不可分性についての言及?)。

 

荻原裕幸さん】

 ・ライトバースは自然発生した「現象」として捉えられ、軽薄な感じがぬぐえなかった。

 ・ニューウェーブは、ライトバース的新しさを意識して理論化、方法化して提示することを期待されるのと引き換えに、ライトバースとは違う名前を与えられたのではないか。

 ・ニューウェーブの人同士で方法論の共有、検討はしなかった。

 

加藤治郎さん】

 ・コンピューターの発達によって、言葉はカット&ペーストで動かせるものになった。そこに遊びの感覚が生まれたのが、ニューウェーブと深く関連しているのではないか。

 

つづく!