はやくおとなになりたい

短歌とぶんがくと漫画を愛する道券はなが超火力こじつけ感想文を書きます。

「未来のミライ」よかった。

【家族史の物語】

 TVドラマ「あまちゃん(脚本:宮藤官九郎)」、ガルシアマルケス百年の孤独』、桜庭一樹赤朽葉家の伝説』……どれも三世代、もしくはもっとたくさんの世代を跨いで、一族の興亡を描いた物語です。

 アニメーション映画「未来のミライ」は、甘えん坊のくんちゃんが妹の未来ちゃんを妬んだり憎んだりしながらも、未来のミライちゃんに会うことで、未来ちゃんのよきお兄ちゃんに成長していく……というあらすじです。しかし、物語が進むにつれ、くんちゃんは、幼い頃の母親に出会い、若かりし頃の曾祖父に出会い、家族の歴史に触れてゆきます。そして、未来のミライちゃんの、「小さな積み重ね」が綿々と受け継がれて私達につながっている、という指摘が、この作品のクライマックスに据えられています(細かい言葉はうろ覚えです……すみません……)。

 前述の三作品と同じく、「未来のミライ」は、一族の歴史、家族史の描写が印象的な作品でした。そういった作品として見ていくと、「未来のミライ」の特徴的な点として、次の2つが挙げられます。

 1、家族史の時系列が細切れであること

 2、家族史を語る動機が弱いこと

 

【家族史は主題か、演出か】

 1に関して、『百年の孤独』、『赤朽葉家の伝説』は、どちらも時系列順に物語が進んでいきます。祖母、母、私、というふうに、時代がどんどん進んでいくわけです。これは、因果関係も明らかだし、自然で大変理解されやすい。『赤朽葉家』は、現代を生きる私の世代で最後に祖母が若い頃に観た決定的な予知の内容が明かされるなど、サスペンス風の仕掛けが施されていますが、これも全体の構成がシンプルなぶん、捻りとして効いています。

 一方「あまちゃん」は、「未来のミライ」と同じく、現代を生きる主人公が中心に据えられていて、祖母や母のエピソードは挿話として登場します。これは、あくまで作品の主題が主人公の成長や成功にあって、家族史的な側面は、これを補強する演出としての意図が強いからだと想像されます。「あまちゃん」の主題はあくまでアイドルを目指すことで成長するアキの姿と、成長したアキが母親や祖母などの精神的な支柱になって、彼女らが生きる地方の村の希望となっていく様子です。この物語を補強するために、アイドルを目指すも夢破れ自棄になった母親の姿や、海女として村を支え続けた祖母のエピソードなど、家族史的な描写が必要となったのでしょう。

 そうやって見ていくと、「未来のミライ」の主題は、くんちゃんの兄としての成長のようにも見てとれます。しかし、たとえば戦火から命からがら逃れ、戦後逞しく生きていった曽祖父と、それを愛情深く受け止めた曾祖母のエピソードは、あまりに奥深く、演出として処理してしまうにはもったいない。主題が弱いとは言いませんが、幼い子ども向けの易しい主題と、歴史と人間の奥深さへの理解を要する重厚な演出は(それを納得させられるだけの工夫がないこともあって)、ややアンバランスな感じがしました。

 

【他人の家族史、好きですか?】

 話は飛ぶのですが、たとえば私たちは、急に他人が自分の家族のことを語りだすと、怯んでしまうことがあります。あまり親しくない人からの年賀状に子どもの写真が載っていたときに時々感じる、あのなんとも言えない気持ちがそうです。一方で、NHKに「ファミリーヒストリー」という番組があります。芸能人の方の依頼に応え、番組が芸能人の方のご家族(曾祖母だったり、大叔父だったりと様々ですが)の生涯や交遊を辿り、その方に繋げていくという内容です。依頼人の知らないご家族の秘密が解き明かされていく過程はスリリングで、自分の人生には全く関係がないはずなのに、なぜか手に汗握ってしまいます。

 他人の家族史を覗くのは、時におっくうで、時にスリリングです。自分の状況と重ね合わせることがつらく、とっさに退けてしまうこともあれば、繊細な問題に土足で踏み込む快感を伴う場合もあります。家族史を扱う作品は、こういった受け手の二律背反する感情に、良くも悪くもさらされます。この時、おっくうがられないために必要なのが、家族史を語る動機です。

 

【家族史を語る動機】                                                              

 2に関して、『百年の孤独』は作品の主題そのものが家族史だったので、少し例外かもしれません。家族史の物語を読みたくない人は、この作品の読者として想定されていないからです。『赤朽葉家』もそうですが、これはさらに捻ってあって、祖母の代、母の代に、それぞれ謎をちりばめた構成になっています。読者は、その謎の真相を知りたいというサスペンス的な没入の仕方で、一気に家族史を読み進めていきます。家族史を語るのは、同時に謎を解いていくことでもあるわけです。また、「あまちゃん」は、主人公がアイドルを目指す上で、また家族の一員として両親や祖父母を見つめる上で、必要に迫られて家族史が描かれていきます。

 一方、「未来のミライ」は、家族史が語られる動機が弱いように感じられます。くんちゃんの成長を後押しするために家族史が語られているのですが、あまりに自然に、あまりに美しくさしはさまれすぎているのです(その自然さを支える映像美や、自然な手つきは鳥肌ものでした)。また、主人公が幼すぎるがゆえに、自分で家族史を辿っていくことを選択できない。彼の成長を促すために語って聞かせる「誰か」も存在しない。そのため、動機がわかりにくくなっているのです。

 SNSでの酷評は、ここが原因ではないかなと思います。他人の家族史を目の当たりにする時、強い動機を用意され、心の準備ができていなければ、人は怯んでしまいます。その怯みを強く感じた人が、この作品をこれ以上受け付けられないと感じたのかもしれません。

 

【でもよかった】

 この作品を私が物足りなく思ったのは以上の2点でしたが、予想していたよりはずっと面白かったです。くんちゃんに示されたお兄ちゃん像、幼いくんちゃんが達成するには厳しすぎないか? とか、もっとみんなくんちゃんのこと見てあげて……とか、はらはらする面、納得できない面もありましたが、私は子育てをしたことないので経験者の方にしかわからないこともあるかもしれないし、もやもやして言語化できない部分もあるし、ちょっと今は、そのへんについては何とも言い難い感じです。

 ただ、母親にも、父親にも、曽祖父母にも物語があって、それぞれに一筋縄ではいかない人生を生きて、それが連綿と繋がって、くんちゃんになる。重厚で壮大な物語が、一人の甘えん坊の男の子に収束する手際は、見事だったと思います。予想を大きく外れる展開で、それがなんだか快感でした。ありがとうございました。