はやくおとなになりたい

短歌とぶんがくと漫画を愛する道券はなが超火力こじつけ感想文を書きます。

オワーズライナス読書会ゆるゆるレポ2

《高田ほのか『ライナスの毛布』について》

 ですます調が多用されている連作は下着売り場を舞台にしており、下着売り場の店員の過剰な丁寧さを揶揄した表現のようにも思えたため、私はそれほど気にならなかった。

 

「こちらは昨日入荷したての新作でクロワッサンほどの重さなんです」/「夏を呼ぶ」高田ほのか『ライナスの毛布

 

 下着の重さを「クロワッサンほどの」なんて言われると、「そこまでおしゃれに言わなくても」とちょっと身構えてしまう。店員さん自身は、さも聞いている方が喜ぶだろうと思って言ってくれており、違和感として取り沙汰すのもはばかられる。日常に空いている穴というか、ちょっと不気味なところを突いた歌だと思う。台詞だけで一貫したのが成功していると思う。

 下着を買う連作という文脈で捉えるからクロワッサンが下着の重さだとわかるが、これ一首だけだと何の重さなのかわからない。しかし、わからないほうが、この不可解さ、不気味さを引き立てて深い余韻を生むかもしれない。

 連作や歌集というまとまりによって魅力を増す歌が『ライナス』には多かったが、こういう一首単体で響く歌が私は好きなので、こういう歌ばかり目についた。

 読書会では、歌集全体と少女漫画との関連に言及する発言が多かった。少女漫画のような心情の移ろいを表現するのに、歌集や短歌は果たして最適なメディアなのかなと考えさせられた。

 

裸足だわ わたしの床をあの人の足がくっつき離れくっつく/「メリーゴーゴーラウンド」ミカからシュウへ 同

 

 部屋に招き入れた相手が靴下を履いていないことに気づき、剥き出しの皮膚が粘り気をもってフローリングに触れる瞬間を繊細にとらえている。初句の独白の後、一字空けで気づきにしばし浸り、そこからさらに観察を深める。くっつき離れくっつくという反復に、執拗に観察している感じがよく出ている。 

 少女漫画の特徴は、過剰な恋愛への期待や憧れにあると思う。一見、「メリーゴーゴーラウンド」は、そういった少女漫画の過剰な恋愛への期待をなぞっているように見える。しかし、それにしてはこの歌の二句~結句は、あまりに描写に徹しすぎている。少女漫画では、主人公の家に通された異性の踵が大写しになることはない。

 「メリーゴーゴーラウンド」は連作なので、少女漫画をなぞりながらも、結局は短歌的な描写に頼る。こういった歌は、短歌で少女漫画をやろうとした作者本人のまなざしや存在を、色濃く読者に伝えてくる。

 こういったところから、私は「メリーゴーゴーラウンド」は、少女漫画×短歌の連作というよりも、登場人物という他者に憑依して詠んだ歌集という点で、穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し』や、刀剣乱舞の二次創作短歌『歌の拵え』等の二次創作短歌に近いのではという気がした。一首独立性という話があったが、こういった、歌集や連作全体としての「仕掛け」を理解した上で味わう短歌を、是とするか非とするかというのは、個人の好みや短歌との向き合い方に寄るだろうなと思った。

 

 つづく!!