「トライアングル(第4シリーズ第二回)よかった
わ〜いトライアングルだ!
ゆるいけれど一筋縄ではいかない水沼朔太郎さんの歌は、どんな歌人をゲストに迎えても、化学変化を起こされますね。今回ゲストの御殿山みなみさんは、かわいい主体像にぴりっと悪意や郷愁がにじむ作風ですが、お2人で並ばれると、お1人ずつ読むのとはまた違った発見がありました。
拙い評で恐縮ですが、気になる歌を選んで一首評させていただきます。ご高覧いただけると嬉しいです。
からっぽで恩寵をそのまま浴びている机上の花瓶と麦茶のコップ 水沼朔太郎
花瓶と麦茶にさす陽を恩寵だと感じる前向きな姿勢が印象的だった。花瓶がからっぽなのは花が活けられていないということだろうが、麦茶のコップには麦茶が入っているので、物理的にはからっぽとは言えない。麦茶に満たされているはずのコップをからっぽと呼ぶ点が、主体の心の空虚さのようなものを思わせて、個性的だと思った。そこに「そのまま」恩寵を浴びせる点に、希望を感じた。
ぼろぼろの靴下なこと言わないし悪いとも思わんが覚えてる 御殿山みなみ
「靴下ぼろぼろだね」と言うと、相手を不快にさせ、自分の評価を下げるリスクがあるから言わないし、自分は衣服で他人を評価するような人間ではない。そんな建前を並べながら、結句の「覚えてる」には、ぼろぼろの靴下への意地の悪い執着や、相手を蔑む心情が見てとれる。この人は、衣服で他人を評価する人間なのだ。幾重にも嘘や建前で覆ってうまく隠したつもりの悪意がギョロッと顔を出す構成が、後味の悪さを残して印象的だった。
ぼろぼろの靴下という名詞を形容動詞連体形のように用いる初句二句の丁寧ではない感じや、「思わんが」「覚えてる」という粗野な口語表現にも、相手に対して敬意がないことが感じられて周到だと思った。
すてきな歌をありがとうございました!